「今」って既に完璧です。 満たされていて、愛に包まれていて…。
「全体=本当の私」に気付けば、これははっきりわかります。
《図(A)のように、下方の体を私と思って生きてきたが、その体も含んだ全部(B)が本当の私》
図(B)が、「全体=本当の私」の説明です。私っていうのが実は、体だけではなく今ここにある全て、これが私の本当の範囲だという事を、忘れたくなくてこのブログを書いています。
ここ何日かで、図(A)で説明している私(全体と分離した思い込みの「自分」)が、「今」という時の完璧さを見つけ始めました。
「あ! こんなところに完璧が! 」
「え、あんなところにも完璧が! 」
「見つけた! 」
全部が、ここにある全てが、完璧です。
多分理屈では知っていたのです。
だけど、「自分」はまるで始めて気付いたかのような新鮮な反応をしました。
“足るを知る” という言葉がありますが、これの理解には随分な幅と奥行きがあるな、と思いました。
思い込みの「自分」が、いかに今ここが完璧な世界かを、「自分」に解るように、もっと見たい。もっと見せてくれ! と、なりました。
(※↑いつも、「自分」を誰か別の人のように説明しがちですが、「自分」を含めた全部が本当の私です。「自分」を本当の私と分けて別物として否定してしまっては本末転倒です。ここが言葉では説明の難しいもどかしいところです。誤解に繋がる恐れがあります。パラドックスなのです。)
それで気付いたことは、みんな、この瞬間の自分自身の最高を選びとる自由があるという事です。(もちろん最高でなくてもなんでも自由に選べます。)
つくづく思いました。なんて豊かな世界なのだろう…。
愛ですよね。
今の中に全てがあるのです。
今ここで、私が何に気付けるかなのです。
それがそのまま、私の世界となります。
目の前に、何一つ欠けていない素晴らしい世界が広がっていても、明日の心配をしたり、さっきの事を気に病んだり、昔の思い出に耽ったりすれば(これらは妄想)頭の中のそれが自分の世界になります。
こんなにも自由でこんなにも愛がここにあります。
本当は命とは、生とは、愛とは、今ここでもっとダイレクトに体験出来る(「自分」からみた場合)直接のものです。
焦って勉強するのも、後先考えずに大食いして苦しむのも、反省するのも、今ここの瞬間の幸せを噛み締めるのも、全部自由で愛なのです。
それをしている「自分」が存在していると、思い込むのもやっぱり自由ですね。
今、私は自由に世界との一体感を感じて深呼吸しています。
私は私です。
「全体=本当の私」が日々馴染んで来て、いちいちの説明にも少し違和感を覚え始めました。
これからそんな風に感じた日は、自由に最後の説明だけを付け足す事とします。
毎日幸せです。
明日も良い日でありますように!
(’-’*)♪
最後に再度、私がこのブログを書くことで、常に自分自身に言い続けたいことです。
↓
▶【 私の範囲 / 詳細図 と説明】
▶『愛の波動』を選び続ける(参照)
Yes ! Change!