勉強しようと思っていたら、しろと言われてやる気がなくなった。
よくある話ですが、なんでこんなことになるのでしょうか?
昔から私は、特に母親からこれをされ続け、先回って経験を教えられた為に、自分の経験が奪われてきたと感じていました。
自分の中から自然発生する衝動、それを待ちたかった。
それを待たなければ、本当にしたい事なんて頭で考えてもわからなかった。
しょうがなく、合わせてるフリをしたり、逆に拒否したりするしか、自分の本当を守れなかった。
そして生きにくいのを、親のせいにしたりしてきました。
今回のお休みではそんなあたりもおおいに炙り出されてびっくしています。
真実はというと、思い込みの「自分」が、自分自身に先回って隙間なく指示し続け、至らぬ点に駄目だしをして、疲れ果てるという一人芝居だったのです。
そうまでして、「自分」は“待つ”という事から逃げていたのです。
これがミラーとなり、親がかわりに見せてくれていたんだ、という事で深く納得しました。
「自分」は、「全体=本当の私」から、全速力で逃げ続けて来たのでした。
それに気付いたら、「自分」が主役じゃなくなるから…。 実は本当は居ないのだから…。
(B)が本当の自分。これが真実↑
真実に戻る決意をしたから、もう、いくら「全体=本当の私」の為の予定だと訴えようが、内容に関わらず(A)の状態から動こうとすると、「待て」がかかります。
あんなに待ちたいと思っていたのに、実は待ちたくなかったのだとは…!
パラドックスですね♪
真実と一致する、その瞬間を待って、私の新しい世界は動き始めます。
それは思い込みの「自分」の思考がなくなる時です。
ただ、起こるがあるだけです。
頭が消えた瞬間大きな力に繋がって、やろうとせずとも自動でことは起こります。
今、これを学んでいます。
まだ、待ち時間が辛いです。
by「自分」
時がきたら、待つ事からようやく解放されるので、もう、「自分」が居なかろうがどっちでもいい位の気持ちになれます。
by「自分」
「全体=本当の私」の本気です。
おまかせします。
by「自分」
(。・´д`・。)